明治23年、川上郡立川上高等小学校(現在の成羽小学校の場所)に入学。その年から新たに設けられた図画科では、偶然にも松原の画塾に学んだ成羽町出身の荘保二郎が鉛筆画の指導にあたっていました。虎次郎の絵に対する関心と興味は、ますますつのっていったのですが高等小学校を卒業後、進学は許されず、14歳からの数年間は、天秤棒をかついでの鮮魚の行商など、家業を手伝うこととなったのでした。
しかしながら虎次郎の向学心はおさまることなく、仕事を早めに切り上げては絵を描き、夜は英語の勉強にいそしむ毎日でした。また、励ましてくれる先輩たちもいました。当時、東京で研さんを積んでいた成羽町出身の洋画家 長尾杢太郎と同 井上啓次の二人は帰省するたびに東京画壇の息吹を伝え、虎次郎が描きためた絵を批評、指導してくれたのです。
来館できる日を楽しみにしてます。