Home 虎次郎の生涯 [ 最後の制作 ] [ 最後の制作 ] 2018.04.1 虎次郎の生涯 -自らの画業と絵画収集に奔走。壁画制作に情熱を傾けるが途半ばで病に倒れる。 児島虎次郎は、47年という短い生涯の中、欧州に3度渡り、中国・朝鮮半島を4度旅しています。それは、自らの絵画修業と大原コレクションのために奔走した人生でした。大正11年、3度目の渡欧ではロダン、エル・グレコ、セガンティーニらの作品を購入。帰国途中、虎次郎はかねてあこがれていたエジプトに立ち寄り陶片や彫刻も購入しています。現在、大原美術館(倉敷市)と成羽美術館で古代エジプトの副葬品が所蔵されている由縁です。中国・朝鮮半島へは主に画題を求めての旅行でした。東洋を題材とした制作には、西欧の模倣ではなく、東洋人としての独自の表現を意識していたことがうかがえる作品が多くあります。虎次郎は大正13年、明治神宮奉賛会から明治天皇の生涯をつづる壁画の制作を依頼されました。画題は「対露宣戦御前会議」。明治37年2月4日、日露戦争の開戦決定という緊迫した御前会議の情景でした。この大役に虎次郎は並々ならぬ情熱を注ぎ周到に準備をすすめていきました。各方面に働き掛け、資料や情報を収集。また、御前会議に出席した生存者に直接談話を聴くなどして、当時の状況を取材しました。 幾度か宮中へも赴き、会議場となった表御座所の写生を許され調度品、いす、テーブルなども細かく調査し、そしてついには、酒津の敷地内に表御座所と同じ間取りのアトリエを建てたのでした。これは何かにとりつかれたように制作に取り組む虎次郎に深い理解を示していた孫三郎の友情の成せる技といえるでしょう。 成羽美術館所蔵の《対露宣戦御前会議習作》は準備に3年の歳月を費やして取り組んできたものです。しかしながら虎次郎は、この壁画の完成を見ることはありませんでした。 昭和3年、度々の外遊と絵画収集に関わる調査研究、そして壁画制作、生活は多忙を極め、ついに虎次郎は病に倒れます。渾身の力を込めた壁画制作半ばで、また孫三郎と語り合った美術館開設の夢を実現する前にその生涯を閉じることとなったのでした。 昭和4年3月8日。享年47。 虎次郎の壁画制作は未完に終わりましたが、その遺志は親友の画家 吉田苞に受け継がれ虎次郎亡き後、昭和9年に完成。現在、明治神宮聖徳記念絵画館(東京)に収められています。 コメント コメント ( 0 ) トラックバック ( 0 ) この記事へのコメントはありません。 この記事へのトラックバックはありません。 返信をキャンセルする。 名前( 必須 ) E-MAIL( 必須 ) - 公開されません - URL Δ
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